ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜 (2009)


3.1点

監督:根岸吉太郎
原作:太宰治
主演:松たか子浅野忠信、室井茂、広末涼子妻夫木聡堤真一伊武雅刀

以前、どこかでこの映画の予告編を観て、気になっていたので借りてみた。
原作、太宰治。そこから私にわかることは『走れメロス』(それも教科書に出てきた範囲)と、毒舌の友人が「太宰治が好きだと言っている男子にロクな奴はいない」と言っていたことだけ。太宰治という名前ばかりが独り立ちして、結局作品はまったく読んでいない。

この映画を観て、友人のことばがあたっていることがよくわかった。何かあると「死にたい」だとか、「苦しい」だとか、弱音ばかり吐いている。本当にダメなやつだ、というのが私の感想。ただ、映画を観ただけであって、彼が本領を発揮していた小説を読んだわけではないので、作品についてはまだなんとも言えないかな。

ちょうど今、先日訪れた文学フリマでゲットした、東京学芸大大学現代文化研究会が発行している『F』という冊子の「ガール特集」の号を読んでいるのだけど、ここの中にあった投稿のひとつに、「少女(ガール)に象徴される「かわいい」という概念は、男性の視点から認定されてはじめて「かわいい」となる」、というような内容があった。それがこの『ヴィヨンの妻』を観て、そしてそのあとの私の独自の太宰治リサーチをしてみて、太宰さんの作品に通ずるものとしてなんとなく(あくまで「なんとなく」ね、ここ重要)リンクした。
というのは、太宰さんの作品(と言っても現時点ではこの『ヴィヨンの妻』だけなんだけど)は、複数人、その性格個性もさまざまではあるけれど、いかなる場合でも「女性」という存在によって彼の世界観、芸術感が成り立っているんだなと思ったということ。決してそれだけではないと思うけど、でもかなりコアな部分でその要因はあると思うんだよね。
また、太宰さんの作品に限ったことではなく、ほかの作品でも男女というテーマはどこかしら混在してくるものでしょうけど、その中でも彼の場合は、彼の才能を発揮する究極のところで、「女性」が不可欠なんだなと思いました。

VIVA 日本文学。今までまったくノータッチだったジャンルにこんなに奥が深い観察点があったとは。これはこれは、今後がまた楽しみです。

ちなみに今日は生田トウマ君が出演している『人間失格』レンタルしてきました。でも、続けて観るのはちょっと重すぎるかな。ひとまず、長瀬君&クドカンさんコンビの「うぬぼれ刑事」で、心をほぐしてから、再度挑戦することにしよう。
でも今日はもうこんな時間になっちゃったから、映画を観るのはまた明日だね。
(デンデン、でんぐり返って、)まーた、あーしたー。