勝手に生きろ! by Charles Bukowski (1975)
原題:Factotum  都甲 幸治訳

「勝手にしなよ!」と怒鳴りたくなる。でも、好き勝手やった結晶としてこうやって作品ができたのだからすごい。主人公チナフスキーの生活は同じ事の繰り返し。ちょっと変化があるとしたら職の内容、相手の女が少し変わるだけ。後は職を探してありついては辞め、女を道具のように扱い、酒を飲んだくれる日々。何がしたくて生きてるんだ?何を楽しみに生きてるんだ?と自分にも同じ質問がぶつかるのを少し恐れながらも読んでみると、彼は結局「モノ書き」には憧れていたんだね。そこにモーレツな情熱があったようには決して書かれていないけれど、それでも、心の奥に少しでも「俺にはコレなんだ」って何かを持っていたことは確かなんだと思う。だから、他の事は無意識にやりたくないのだよ、頭も体も心もそうやってできている人なんだよ、きっと。だから他のことはテキトーでいいのだ!テキトーに勝手にやって、そのテキトーに生きてる中のどっかで「モノ書き」に繋がる何かがあればいいなーくらいの望みとも言えないような望みをすこーし持ちつつ、あとは好きなことしかしない主義。こんなのね、真面目に仕事してヒーヒー言いながら毎日を過ごしている人には到底読めないね。「ふざけんなー!パーンチ!」ってなっちゃうと思う。私も今だからこんなにストレートに読めたんだと思う。そう思うと読者の心境ってかなり作品の感想を左右させるよね、と思う。で、この本の中にこんな一文があったので抜粋。

ヘンリー・ミラーを持ってきていて、バスに乗っている間ずっと読もうとした。ミラーはいい時はいいし、悪い時は悪い。

ホホー、そりゃね、まさにね、アンタ、自分のこの本も同じだよ!って思いました。あなたの本もいい時はいいし悪い時は悪いのです。そんな作品ですよ。
ちなみに私がブコウスキーを知ったのは去年。渋谷のタワレコ書籍コーナーにてウロウロしていたら、若いアメリカ人男性3人グループが本棚の前で何か討論しているのを目撃。(おそらく軍人じゃないかなー、本屋にあまり似合わない感じの体育会系の若者だったので。)毎回思うけど、声がでかいっつーの。なんであんなにでかい声で話すのか毎回不思議。その中の1人が、「ヘーイ、ブコウスキーがあるぜー。日本の本屋にもブコウスキーあるのかー。スゲー!俺ブコウスキー超スキー、この作家はヤバイんだよー!(友人に向かって)おまえらも絶対に読んだ方がいいぞー、ブコウスキーはスゲーんだー、天才だー」・・・と大絶賛していたのです。ここでブコウスキーを連発されて単語が頭に入っちゃったんだよね。で、多少は調べて本を借りてみたけれど、確かにアメリカの若者軍人には憧れるスタイル、尊敬すべきスタイルなのかもね、と参考になりました。