グロテスク by 桐野夏生 (2003)

このタイミングでこの本を読んだことは私にとって、運がよかったことなのか、それとも運が悪いことだったのか。どうかな。でもこの本の内容は、今の自分の状況を絡めてものすごく考え深いものでした。始めは学園ものなのか、楽しそうじゃないの、と気軽にブイブイと読み進めていたけれど、途中から「女」の奥の奥が湧き出てくるようで、真剣に恐くなってしまった。女も恐くなったし、人も恐くなったし、何より自分が恐くなってしまった。そしてこの本の中の、女の人の目を通してみると男の人が弱く思えてしまったりもします。(もちろんそんなことはないよ、男女平等ですよ、きっと。でもなんだか妙にそんな気分になってしまった。キレイごとをとっぱらうと、でもやっぱり女の人は恐い分、強いのかもしれない)。こんなことを書いている自分がもうグロイわね。

読み始めてすぐに、ハーフの姉妹、それもあまり裕福ではない(私からしてみたら裕福そうな感じだけど)、姉は「怪物的に美しい」妹にコンプレックスを持ち、妹はそんなこと深く気にもしていないような様子……このあたりの状況だけくみ取って、これはまさに自分と重なる境遇ではないかと、期待していた。そして、そんな姉妹のエグイやりとりの話しなのかと思っていたけれど、ハーフだなんてことはもうどうでもよいくらい重みのない飾りテーマで、妹と姉が仲が悪い点もフツウではないレベルだし、あくまでこの設定・境遇はこのストーリーを描くためにぴったりってだけで、この設定に焦点はなかった、と思います。

この設定だからこそ楽しんで読んでいるときは、私は自分を物語を語る「私」と重ねていたけれど、読み終わって、暫く経って(昨日読了)、今再度思い返してみると、私はこの話に出てくる4人の女でいったら、和恵かな、と思った。(と、思っている)。それは今日、今ちょっとさっき改めて思った。和恵が嫌なやつなのか、かわいそうな子なのか、馬鹿なのか、あたまが悪いのか、よくわからないけれど、ことばで語れない分、彼女の気持ちがわからないでもないような気がしてならない。

と、こんなことを悟って、私は何をすればいいのかな。何かをした方がいいのでしょうか?満足できていないことだらけだし、自分のことが好きになれないことも多いけれど、でもこの本を読んで「フーム」と思ったことを自分にプラスした視点で、またいろいろと世界を見てみたいと思うね。この視点がプラスされたことで、今は(まだ1日しか経ってないから)ものすごく恐くもなるけれど、でももうちょっと時間が経てば、まっすぐに見られるようになるでしょう。

うちの妹はこれを読んだらどう思うかな。読ませてみたい気もするな。それにアイツ、こういうの好きそうだ。

確かにすごく面白かった。でもこれは違うなと思う点もいくつかあった。それはもちろんそういう人もいるかもしれないから、間違っているということではなく、「私の場合は、こうじゃない」っていう自分との相違点みたいなものがしっかりとわかってよかった。それは淫乱なユリコのセリフに出てくることだけど、彼女をリアルな「女」とするのはちょっと難しいな。私個人の意見ですからね、ほんとは知らないよ。でもやっぱり誰でも素直に「優しくされたい」と思う気持ちはあると思う。それがないという彼女の姿勢は、私には小説の中だけの登場人物としか思えなかったです。小説だからもちろん、それでいいんだけど。

それからこのエンディングについて、もうすでに読んだ人から「どうだった?」と聞かれたんだけど、どうだったもなにもこれはこういうエンディングなんだから、私はそれでいいと思うし、特によかったとか悪かったという感想は一切ないです。こうやって聞く人は「男性」です。「女性」からはまだ一度もこんな質問はされていません。やっぱり何か違うのね。